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 ワーグナーオペラについての新刊出版のおしらせ(2006.9.8)  2005年のディスクメモリーズ(2006.2.4)  2005年を振り返って(2006.1.2)   長男誕生とサントリーホールニューイヤーコンサート未遂事件(2005.6.4)   四日市市民オペラ「ラ・ボエーム」のスタッフ、キャストの皆様へ(2004.11.30)  リサイタル御礼(2004.7.28)  私が選んだCDベスト100 その2 ブルックナーの交響曲(2004.4.12)   私が選んだCDベスト100 その1 ベートーベンの交響曲 (2004.1.21)  ● リサイタル御礼 (2004.1.12) ● 名歌手の思い出 (2004.1.11)  ● もう一度ジュリーニ万歳!(2004.1.7)  ● 「ベートーベンの交響曲全曲演奏会」 (2004.1.2)  ● ジュリーニ万歳! (2004.1.2)

 ワーグナーオペラについての新刊出版のおしらせ(2006.9.8) 目次へ戻る

 9月6日、秋篠宮紀子様が愛育病院で男の子をご出産されて、世の中が本当に明るく感じた一日でした。私どもの長男健太郎も愛育病院で生まれ、テレビで何度も映された病院の風景は、私にとっては何回も通った、本当に懐かしい風景でした。紀子様は、東京文化会館で上演された韓国との合同オペラ「春香伝」にご来場くださり、公演後、私どもキャストはコスチュームをつけたままでお会いしてお話する機会がありました。その時のことも昨日のように思い出しつつ、よくぞ頑張られて親王をお生みになられたと思いました。当然ながらすばらしいかたでした。また、その折に、紀子様を先導されていた在日韓国大使が、私が日本人だとわかると、「日本人が歌っていたとは思わなかった。だまされた。だまされた。」と笑って言われました。あれは私の韓国語をほめてくれたわけで、カナをふりつつ丸暗記でやったかいがありました。実際暗譜にあれだけ時間がかかったオペラははじめてでした。相手役の春香を歌ったパク・・ジョンウォンさんは自分の歌のないところは、本番中ずっと私の歌詞をささやき教えてくれこれは日韓友好とはこのことと思いました。以外としられていないのはアジア圏のオペラ活動で韓国キャストとの会話は英語、イタリア語、など皆留学した国の言葉と母国語をごちゃ混ぜにしてこれがまたコミュニケートとしておかしく、楽しい稽古場でした。また、この公演を実現させたチョン・ヲルソンさんのテレビでのドキュメントは大きな賞を受賞しました。

 考えてみるとこの25年私はオペラにいつも関わらせてもらいながら生きてきたと感じます。そしてこの秋にワーグナーのオペラを紹介した著作を出版する運びとなりました。ふりかえると、10台でワーグナーのオペラに魂を全部持っていかれたことが、この道にはいるきっかけで、何か書いて欲しいといわれたおり、迷わずワーグナーをと思いました。かたくるしくなく、10台から大学生くらいを対象にして書いてみました。約200ページほどの本ですが、ちょうどご親王御誕生の日に第一稿が完了しました。題名は、まだ決まっておりませんが、「オペラはほんとにつまらないか」、「なにげにオペラガイド」などといった題名になるかもしれません。11月中旬には出版を予定しております。よろしくお願いいたします。

 2005年のディスクメモリーズ(2006.2.4) 目次へ戻る

 昨年、惜しまれつつ他界したカルロ・マリア・ジュリーニの冥福をお祈りしたいと思います。追悼盤という形で既に市場から消えていた過去の名盤の数々が復活したことは、残念さのなかに見出した喜びの一つでした。スカラ座オーケストラとのベートーヴェンやバイエルン放送響とのCDは、どの一枚をとってもジュリーニの音楽のすばらしさはひしひしと伝わってくるものでした。以前にもこの欄で記したように、ミラノ留学時代、スカラ座のオーケストラ定期演奏会でジュリーニをたびたび聴くことができましたが、観客の熱狂は凄まじく、演奏以前にジュリーニが袖から登場しただけで、ブラボーの声が方々からかかるほどでした。ミラネーゼにとっては、ジュリーニが自分の愛妻の為の看病のために、70歳でオーケストラの重要ポストからいっさい退いてしまったことを良く知っているからなのでしょうか。それ以上に、マリア・カラスとルキノ・ヴィスコンティによる「椿姫」のあの壮絶な音楽を彼の姿と重ね合わせてしまうのかもしれません。(あらゆるジュリーニのディスクの中で、この「椿姫」がモニュメンタルであることは間違いないでしょう。また、オペラの上演史においても、私たちが同時代に、享受することができた最高のものであることに誰も疑いをもたないでしょう。ただ、残念なのは、あまりに録音状態がよくないことです。)

 ドイツグラモフォンからリバイバルで発売されたロサンゼルスフィルとの演奏の中から、まず、昨年のベストCDとして2つ選びたいと思います。UCCG3969ブラームス交響曲第2番ほか、UCCG3968ドヴォルサーク交響曲第8番とシューベルト交響曲第4番。ロサンゼルスフィルとの組み合わせは、エロイカと悲愴のように不完全燃焼のものもありましたが、この2枚は誰が聞いても、文句なしの充実したできばえです。ロサンゼルスを訪ねてプライベート盤でも探したい気持ちにさせます。

 さて、EMIからシリーズででた北ドイツ放送響(NDR)のシリーズでは、このシリーズの本命、イッセルシュテットのストラヴィンスキーの春の祭典ほかNDR10032が全く意外な名盤。ライブならではの迫力で、この指揮者の実力を示す一枚です。イッセルシュテットは60年代が活躍の時期であったために、その時代のウィーンフィルとのベートーヴェンのイメージが強く、個人的には低弦の鳴らし方に物足りなさを感じていました。しかし、伝説の名指揮者の実力は本拠地で発揮されるものだと痛感させる一枚です。バーンスタインやメータのストラヴィンスキーを固定観念として持つ同世代としては、あまりの意外さに絶句といったところでしょうか。

 それから、クラウス・シュテットはもはや伝説の人となってしまいましたが、ME1020から24のベートーヴェン交響曲全集はプライベート盤ながら、圧倒的な力を余すことなく示したシリーズです。とくに、亡命後、最初の地位を得たキールフィルとの第5番は別売りで最近発売されたりもしましたが、輝かしい名演です。BBCリジェンドからもベートーヴェンが第九も含めでていますが、こちらのシリーズの方が魅力的でした。ただ、惜しむべきは、録音にかなりの甲乙がみられ、ノイズが少なくないことです。韓国レーベルで、廃盤、倒産等々が伝えられ投売りされたイエダンは、ロシアもので掘り出し物が少なくありませんでしたが、中でもYCC0022ショスタコーヴィッチの自作自演に腰が抜けるほど感動。ピアノコンチェルト1番、2番におけるピアノを本人が弾いているのですが、あらゆるクラッシックファンに聴かせたい名人芸と言えます。それから、オペラでは、スウィトナーとベルリン国立歌劇場による「タンホイザー」のライブ盤をあげておきます。スウィトナーはオペラでの実力を十全に発揮したディスクが意外と少なかったのですが、この演奏GL100.621はプライベート盤ですが、大変によい仕上がりになっています。ヴェンコフ、カサピエトラ、ドヴォルジャコーヴァらもそれぞれの全盛期の声が記録されていて、満足のいく歌が聴けます。タンホイザーはこれぞという名盤がなかなかでてこない演目ですが、カイルベルトのバイロイト盤と共にライブでのベストCDかもしれません。

 テルデック8573−81036 アーノンクールによるバッハ「マタイ受難曲」はアーノンクールのここまでの活動の頂点を極めた名盤と言えるものでした。物語の解釈演奏が申し分ないゆえに全体の流れがよどみなく大変に美しい演奏になっています。プレガルティン、ゲルネ、シェーファーらソリストも饒舌で、マタイの名盤がここに登場という感じです。アーノンクールに疑問を抱く方は、是非、このCDをお聞きください。

 さて、番外編で、びっくり仰天の内容を二つ。昔から、存在を知られていたデルモナコのロシアボリショイ劇場でのカルメンの客演RV2001でこちらは1959年の録音ながら、音質はそう悪くありません。モナコが本来、フランス語で歌われるべきものをイタリア語訳で歌い、他の全キャストがロシア語訳で歌っているという珍しいディスクなのですが、旧東欧圏ではこうした公演は珍しくありませんでした。演奏旅行で旧東独ライプチヒを訪ねた折、ルチアで同じことがおこっておりました。エドガルドだけが、ゲストでイタリア語で歌い、他の全キャストがドイツ語で歌うというのを、大劇場公演でみましたが、慣れてしまうと、まあ、こういうこともあるのかなという感じでした。このディスクでびっくり仰天なのは、モナコの歌唱です。花の歌に入る前に、カルメンとのやり取りがあるのですが、ここでのモナコはイタリア語とあきらかに原語であるフランス語がところどころメチャクチャにごちゃ混ぜになり、私たちは一つのオペラで三カ国語を聞かされるという現象がおきています。もう一つは、フルトヴェングラーによるマタイARPCD0286でこのディスクは一枚目ウィーンフィルとのセカンドディスクともいうべきものは既に知られているものなのですが、二枚目、ブエノスアイレスに遠征しての演奏が珍しく必聴の一枚と言えます。ソリストは、ドイツ語で歌っているのですが、コーラスがスペイン語訳で歌っていることです。フルトベングラーがスペイン語訳されたマタイをどのように稽古したのだろうか。など、想像をかきたてられる一枚です。

 

 2005年を振り返って(2006.1.2) 目次へ戻る

 昨年は「オペラ座の怪人」に明け、「オペラ座の怪人」に暮れた一年だったかもしれません。九年ぶりの復帰で104回の出演でしたが、季節の移り変わりの中、春から夏、秋から冬と本当にこの作品づくしの一年ではありました。その間、9月中旬には、映画で一昨年、ヒットした映画「オペラ座の怪人」もDVD盤でリリースされ、公演の合間に入手し見ました。7月のガラコンサート「モーツアルトな夜」は、現田茂夫の棒の下、東京交響楽団と密度の高いフレッシュな演奏にモーツアルト音楽のすばらしさを再認識しました。9月下旬のオペラ「不思議の国のアリス」には、また、大変多くのお客様にお越しいただき、大変感謝いたしております。とぼけた私のキャラクターに熱いエールを送って下さったファンの方、本当にありがとうございます。10月のリサイタル、11月のあんず会コンサートは恒例の行事となりつつありますが、一昨年にも増して多くのお客様にお越しいただき、どちらも成功の内に終えることができました。12月はサントリーホールにて「カルミナ・ブラーナ」に出演することが突如決まり、楽譜を5年ぶりにひっぱり出してきて、超絶なテノールアリアに挑戦しました。また、大晦日まで「オペラ座の怪人」に出演し、充実した一年となりました。

ご支援、ご声援賜りましたこと、心より御礼申し上げます。

 長男誕生とサントリーホールニューイヤーコンサート未遂事件(2005.6.4) 目次へ戻る

 昨年末12月30日から1月1日新年が明けるまでは、私の人生で忘れられない出来事がありました。28日出産予定の家内が、30日になっても産気づかず、産院の話では、年が明けた1月の第1週ごろだろうと言われていました。12月30日は、夫婦で大掃除をし、家中のホコリを床に落とし、さて、集めようかというところに、電話がありました。来日中のウィーンフォルクスオーパーのテノール ケルシュ・バウム氏が急病で、スタンバイしてくれないかということでした。私は、ファックスで送られてきた曲目を見て、ウィーン気質のような歌ったことのないレパートリーをみて、慌てて車を飛ばし、CDショップへ行ったり、譜面をごそごそとひっぱり出してきたり、オペレッタ気ちがいの友人に電話したりという大変なドタバタになりました。指揮者のビーブル氏とは、お会いしたことがあり、大ベテランなので曲目の変更なのも可能なのではないかとマネージャーに話したところ、12月31日の夜、すなわち本番前夜に打ち合わせとピアノプロオペをしたいとのマネージャーからの返答でした。

 予想と反して、その深夜から妻が産気づき始めました。翌朝まで我慢し(どうやら初産は陣痛が始まってから生まれるまでかなりの時間がかかるらしく、なるべく自宅で我慢すべきらしい)、譜面片手に、病院まで車で連れていきました。夜には、ビーブルさんとの打ち合わせがあるので、昼間に生まれてくれれば、長男誕生の瞬間に立ち会えると思いきや、医師には、翌日の昼くらいになるだろうと言われ、翌日の本番に乗ることになれば、立ち会えないと思っていました。ところが、午後から、妻の状態は進行し、夜には生まれるという話になり、これも、リハーサルで立ち会えないと思っていたところ、マネージャーから電話があり、ビーブルさんがお疲れのため、打ち合わせは、本番当日ということになりました。という訳で、無事、長男「健太郎」の誕生の瞬間を味わうことができました。

 翌日、ホールに行くと、バウム氏も体調を回復し歌えるとのことで、私は本番に立つ必要もなくなり、ビーブルさんや、サントリーホールの支配人と歓談し無事ドタバタ劇には幕が下りました。マネージャーからは、奥さんは30日には元気に電話にでられたのに?あれ、いつの間に出産されたのですか?と驚かれましたが、これが、出産というものなのでしょう。余談ですが、どうやら、産気づくのが早くきたのは、私が掃除を途中でやめることになり、妻が床掃除を一人でやったことが良かったらしいです。このドタバタ劇の中、3220gで産声をあげた健太郎も、6月1日で、5ヶ月、寝返り大好き、歯が2本のデカベビーとなりました。

 

 四日市市民オペラ「ラ・ボエーム」のスタッフ、キャストの皆様へ(2004.11.30) 目次へ戻る

 11月27日に四日市市民オペラ「ラ・ボエーム」にロドルフォ役で、出演させていただきました。すばらしい演出、キャスト、スタッフと仕事ができ私の歌い手人生の中でも忘れられない公演でした。私は大変なオペラファンでもありますが、あれだけ充実した舞台装置、美術、照明、演出には、観客としてもなかなか出会えないと思います。皆様本当にありがとうございました。また、お会いできる機会を楽しみにしております。

 リサイタル御礼(2004.7.28) 目次へ戻る

 6月11日大宮ピエトラホール、7月3日山中湖モーツアルト、7月9日ルーテル市ヶ谷センター、それぞれのリサイタルにお越しくださいました皆々様、本当にありがとうございました。シューマンのリーダークライス、ケルナー、レーナウ、ハイネらによる歌曲集への挑戦でしたが、温かい雰囲気を作っていただき、大変リラックスした歌唱をすることができました。大宮は、あいにくの雨でしたが、大勢の方々の温かい拍手をいただき、会場の照明がかなり暑くて、しんどかったのですが、後半の日本歌曲まで比較的充実した内容を展開することができました。特にコーラスをなさっている方々が大勢いらしたと後で聞きましたが、「落葉松」などでは、舞台からスイングする方々の姿も見え、こちらも歌っていて楽しかったです。また、市ヶ谷は、記録的な猛暑にもかかわらず、大勢お越しくださり、会場までさぞお暑い思いをされたのではないかと思います。大宮、山中湖の舞台が大変に暑かったのに比べると、天井が高く、舞台の奥行きのある市ヶ谷は涼しく大変歌いやすく感じました。

 私にとって、シューマンへの挑戦は、二シーズン目でしたが、来年も引き続き、プログラムに取り上げたいと思います。11月20日横浜、11月24日上海(中国)にて、昨年リサイタルにて取り上げました「詩人の恋」を演奏します。昨年を加えるとこの歌曲集を5回歌うことになります。それで、来年は、本年取り上げた「シューマンの歌曲」とこの「詩人の恋」を前半、後半で取り上げ、オールシューマンプログラムのリサイタルを、大宮、市ヶ谷、桐生など3ヶ所で歌う企画を計画中です。皆々様のご来場を心よりお待ちしております。ルーテル市ヶ谷で公演後、エントランスホールにてたくさんの方とお話することができ、大変に嬉しかったです。また、お会いできなかった皆々様、温かい拍手をありがとうございました。重ねて心より御礼申し上げます。

 私が選んだCDベスト100 その2 ブルックナーの交響曲(2004.4.12) 目次へ戻る

  アントン・ブルックナーの作品は、交響曲以外にはミサ曲などの声楽作品があるくらいで、マーラーと同じように、オペラには手をつけませんでした。しかし、マーラー同様、完全にヴァグナーの崇拝者の一人であったのです。特に、第7番の第2楽章はヴァグナーの死を悼んだもので、大変に深遠な吸い込まれそうな永遠的な生命や魂を思い起こさせるような美しい音楽だと思います。第8番のアダージョにいたっては、あらゆる交響曲のアダージョの楽章のなかで、おそらく最も美しく、そして、最も長いものなのではないでしょうか。ショスターコーヴィッチやマーラーの5番、前回取り上げたベートベン第九の3楽章など数々の名楽章の中でも、宇宙や魂の永遠を信仰させるような計り知れない崇高な音楽となっています。また、偉大な楽聖であっても人間なのですから、晩年にいたってはそうしたテーマに対する追求と肉体的生命への諦観とが、相乗作用してものすごい、いや本当にすざまじい神秘的な音楽を創りだしました。実演では、第1番ギュンター・ビッヒ/N響、第3番リッカルド・シャイー/ベルリンフィル(ザルツブルグ)第4番ウォルフガング・サヴァリッシュ/N響、第7番ロリン・マゼール/ニューヨークフィル(リンカーンセンター)、第8番若杉弘/都響、第9番ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリンフィル(ザルツブルグ)等が心に深く残っています。第7番は、最も親しみやすいと感じていましたが、今春、ニューヨークでフィッシャーホール最前列で聴いたこの曲は、おそらく全楽章を通して瞑想の境地に人間を誘う響きであると思いました。評論家の多くが第8番こそ人類の生んだ最高傑作としていますが、他の作品も生の演奏を聴くとどれも深い祈りの音楽としてほかに比べるものがないと強く感じます。私のコレクションでは、ベート−ベン、マーラーと共に最も枚数の多い作曲家ですが、実際、リリースされているCDの数も決して少なくありません。NYでは、中古ショップにてクレンペラー/ベルリンフィルのライブを入手したのですが、フロリダでドライブする内に急ブレーキでシートの下に落としてしまったようで、レンタカーの中に置き忘れてしまったことを後悔しています。それでは、私のベストセレクションをお送りします。

第1番「スクロヴァチェフスキー/ザールブリュッケン放送響 (アルテノーバ)」

第2番「ジュリーニ/ウィーン響 (テスタメント SBT1210)」

 初期の作品は、やはり、晩年のものに比べると音楽的な、密度が異なりますが、こうした部分をこの二人の巨匠は、誠にみごとに補い、稀な演奏となっています。

第3番「カラヤン/ベルリンフィル (グラモフォン 429 651-2)」

第4番「チェリビダッケ/ミュンヘンフィル (EMI)」

 3番、4番共にたくさんの録音がありますが、決定打を出し切れないくらいりっぱなものばかりだと思います。例えば、ムーティー/ベルリンフィルの大変意外な名演。定番と言えるベーム/ウィーンフィル他に、フルトベングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、クレンペラーなどは、何れもライブの名演がリリースされています。チュエリビダッケの4番の終楽章のコーダは、弦の部分に他の演奏で見られない解釈があり、このEMIのライブシリーズで最も印象的な一枚です。是非、聴いていただきたいなと思います。

第5番「マタチッチ/チェコフィル (スプラフォン)」

    「ヨッフム/コンセルトヘボウ (TAH247)」

 マタチッチは、他に7番と9番をスプラフォンから出していますが、この指揮者が巨匠と呼ばれるにふさわしい人物であることに疑いがないことを実証する超名演と言えるでしょう。実演で燃えたN響との八番も素晴らしいが、チェコフィルとのスタジオ録音もライブなみの白熱です。ヨッフムハ、フィリップスからも5番を出しており、こちらも聴いていただきたく思います。

第6番「レーグナー/ベルリン放送響 (TKCC30617)」

第7番「ジュリーニ/ウィーンフィル (グラモフォン)」

 7番は、4番と共に素晴らしい録音が多い作品。他にカラヤン/ベルリンフィル、マタチッチ/チェコフィルなど。

第8番「スゥイートナー/ベルリンシュターツカペレ (TKCC15015)」

 8番は、それこそ、名盤の山また山です。カラヤン、ベーム、アーノンクール、セル、マタチッチ、フルトベングラー、クナッパーツブッシュ、クーベリックなどなど。

第9番「ヨッフム/ベルリンフィル (グラモフォン)」

 私が選んだCDベスト100 その1 ベートーベンの交響曲 (2004.1.21) 目次へ戻る

 毎日、忙しい日々を過ごしていますが、今日は、明日の舞台を控え、早朝からさらおうと目が覚めたのですが、しばらく体調の悪かった家内が復調して、私より早く起き5時半から朝食を食べつつ、ジュリーニウィーンフィルのブラームス第2番を聴いています。昨日、柴田南雄氏のかなり分厚い「曲がり角の演奏家」という本を読んでいて、作曲家の目から見た絶賛されるべき指揮者としてジュリーニも挙げられており、とりわけ、イタリア人でありながら、おそらくジュリーニは、大変に謹厳実直な演奏家に違いないと書かれていました。75年のウィーンシンフォニカーとの来日のことも少しふれられていて、そう言えば、東京文化会館の資料室に同ホールで演奏するジュリーニの写真があったことをおもいだしました。ロストロポーヴィッチとのドヴォルザークのチェロコンチェルトを車で聴いた折、ライナーノートにオーケストラの団員からみて、あらゆる指揮者の中で最も聖人に近い人物を挙げるとするなら、間違いなくジュリーニで一致しているだろうという文章が書かれていました。そこまで神格化される存在であるジュリーニの演奏の規範はジュリーニ万歳で書いたようにやはりブルーノワルターの指揮で弾いたヴィオラ奏者としての経験によるものではないかと思います。すべての評論家が、ワルターとコロンビアの「田園」をベストレコードとして挙げてますが、各楽器を本当にソリストのように歌わせつつ、全体の調和を保つという神業をブルックナーの7番でもワルター、コロンビアの組み合わせでは実現しているように思いました。ちょうど、ドヴォルザークを聴き終った後、ワルターのブルックナーを続けて聴いて、「ああなるほど、これが音に対する誠実な姿なのか」とおもいました。レコード会社のあの手この手の古い録音を復活させて売り込もうという戦略なのでしょうが、ちょうど今日、1月21日輸入盤でジュリーニの壮年期の録音が「ジュリーニ文庫」として発売されるようです。

 さて、CD評というものは、頼まれれば、悪くは書けないというのが人情ではないでしょうか。縁総評にしても、私が評論家であるなら、いざ、本当に自分の書いたものが、論評として載るとなると、私が演奏家ゆえでしょうけれどもやはり、良くなかったことを良くなかったとそのままを書けないように思えます。そうした立場を考えるとこのホームページでおよそ30年に渡ってマニアとして音楽を聴いてきた、また、25年間は、演奏家として活動してきた私のCD評というのは、結構おもしろいのではないかと思い私選CD100というのをやってみようと思いました。それで、その1として、今回は、ベートーベンの交響曲を選びました。

 まず、 全集ですが、トスカニーニ、フトヴェングラー、ヨッフム、クリップス、ベーム、ケーゲル、シューリヒト、ノリントン、ジンマン、ブロムシュテット、クリュイタンス、ケンペ等を聴いていますが、全集としてまとまりがあり、なかなか甲乙つけがたいものです。とくに、クリップスの演奏は音の分離が、弱いのですが、オーケストラ一つのまとまった響きが美しく今の時代にはなかなか聴けない演奏かもしれません。こうした中で全集は、「フランツ・コンヴィチュニー/ライプチ ヒゲヴァントハウス他 0002172CCC edel CLASSICS GmbH」の演奏を挙げたいと思います。コンヴィチュニーは、私が青春時代に初めて手にしたオペラの全曲盤の「タンホイザー」の指揮者です。ここのところ輸入盤でこうした全集やライブ盤があいついでリリースされましたが、50年代後半から60年にかけての東側の録音とは、信じられないほどの良い音質であり、また、演奏は、本当に伝統と格式の上に立つ格調高いものです。また、もう一つ全集を挙げるとするなら、バーンスタイン/ニューヨークフィルのものを挙げたいと思います。(CBS)  バーンスタインは、 晩年になってのウィーンフィルとのものも素晴らしいのですが、ニューヨークフィルとのものは、前に突き進むアメリカンスピリットのパワーで全曲が貫かれており、バーンスタインのバーンスタインらしさが前面にでていて素晴らしいです。バーンスタインは来日公演の折、エロイカを聴きましたが、私は今までベートーヴェンのあらゆる交響曲の実演でこんなに大きな音を聴いたことがないという印象でした。コンビチュニーは時代を代表する名指揮者だった訳ですが、今日では息子さんが演出家としてお父上以上の名声を(スキャンダル)を博しています。

 交響曲第1番、2番はハイドンの流れを汲んでいるように強く感じられます。シェルヒェン、ヴァントの演奏を挙げる評が多いのですが、私は今日まで絞り込めません。ただ、シェルヒェンの第2番の冒頭は何であんなことになるのでしょうか?(爆発音のような…) 

 交響曲第3番は、またまた数々の名演があります。フルトヴェングラーはウィーンフィルやカラヤン、ベルリンフィルなどは、その筆頭でしょうが、私は、ライブでの名演として、「カール・シューリヒト/ウィーンフィル C538 001B ORFEO」 を熱狂を持って押したいと思います。この演奏は、61年のザルツブルグ音楽祭の実況です。シューリヒトについては、評論家から、名演家として数々の賛辞が送られていますが、スタジオ録音ではこれぞというものには出会いませんでしたが、この一枚をもってそのもやもやをすべて覆してしまうほどでした。

 第4番はフルトヴェングラー、ムラヴィンスキー、クレンペラー等の名盤は、これも、甲乙つけがたいというものでしょう。ミュンヘンのガスタイクでスカラ座のオーケストラのツアーがあり、オーケストラの真横の席でムーティによるこの交響曲を聴きました。ムーティによる7番を同じオケでミラノで聞いており、期待したのですが、稀に見る迷演奏で、本当にびっくりした記憶があります。ファイナルでレスピーギを演奏して大ブラボーだったのですが、あれぐらいアンサンブルが乱れると、人ごとながら、手に汗握りました。つまり、ベートーベンのアンサンブルはなかなか手ごわいということなのでしょう。疑いもなくこの交響曲に新しい光を与えたのが、「カルロス・クライバー/バイエルン国立歌劇場管 C100 841 A ORFEO」の演奏です。このオーケストラは、ミュンヘンでは放送交響楽団に比べるとかなり質が悪い演奏をしてしまうことがあるようでオーケストラピットから舞台に上がった時の評価は、かなりきついものがありました。実際、おそらく、50回ほどは聴いたであろうオペラでも同じ演目で異なる指揮者によってここまで音がそっぽを向いてしまってよいのかという怒りが客席でこみ上げてきたことがあるくらいです。クライバーの指揮は、第一楽章の冒頭から異様な緊張に満ちており、まるで、一筆書きのように、一挙に演奏しきっています。残念なのは、ニューイヤーコンサート以降あまり主だった活動が伝えられないことで、キャリアを閉じてしまうつもりなのでしょうか?最近、田園が同じレーベルからリリースされて、年末のビッグニュースでしたが、私としては、現在進行形のクライバーの音を聴きたいのですが。

 第5番は、名曲ながら演奏となるともっとも難しいものの一つではないでしょうか。実演では、ベームの来日公演が印象深く、また、ウィーンフィルがすばらしい緊張感を生み出していました。この一連の来日ライブがCDとしてリリースされるのは、大変嬉しいことです。クレンペラーのライブやフルトヴェングラー、トスカニーニなどいずれもこれぞという名演だと思います。しかし、4番同様、「カルロス・クライバー/ウィーンフィル UCCG-3301 DG 」をやはり強烈なインパクトを与える演奏としてあげておきます。ここで、クライバーはカラヤンに見られるような重厚さを目指しているようには思えません。どちらかというと、コンパクトにまとめたとさえ思える演奏なのですが、ウィーンフィルの各奏者の一つ一つの響きが縦のラインでも横のラインでも美しく響きやはりこの交響曲の持つ「運命」というイメージを完全に一新してしまっています。また、「カルロ・マリア・ジュリーニ/シカゴ交響楽団 POCG-91004 DG」の演奏も挙げておきたい一つです。ジュリーニとシカゴという組み合わせは、イタリアとアメリカという組み合わせであり、伝統的なドイツオーストリアの響きを期待しないでこのCDを聴くとまさに期待をに反する壮麗な響きに圧倒されます。ジュリーニがアメリカのオーケストラと相性が良いことは大変に興味深いことです。

 第6番「田園」は「ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団 CBS 30DC 743」が伝説の名盤と評論家の一致した見解のようです。同じように「カルロ・マリア・ジュリーニ/ニューフィルハーモニア EMI CLSSICS 7243 5 85490 2 7」は忘れられない一枚だと思います。先日の全曲演奏会での岩城さんの演奏のように脱力したところで、にじみでてくるストリングスの味の深さ、豊かさこそがこの作品の魅力なのでは。

 第7番は、「レナード・バーンスタイン/ボストン交響楽団 POCG-1584 DG」 をまず、あげておきたいと思います。この演奏は、バーンスタインの最晩年のライブでゆかりの地であるタングルウッドでのコンサートですが、録音は今ひとつなもののウィーンフィルとのライブとは完全に異なった響きが聴かれます。全集のところで、第一に挙げた彼のニューヨークフィルとのエネルギッシュなスタジオ録音と比べるべくもありませんが、偉大な音楽家の幕引きのドキュメントとして、忘れがたい一枚です。「カルロス・クライバー/ウィーンフィル UCCG-3301 DG」 は、おそらく永久に愛され続けるであろう本当にクライバーらしい演奏です。たまたま、車でFMを聴いている折、このCDが途中からかかっており、指揮者が誰であるか考えるまでもなくすぐわかった記憶があります。運命ともども新解釈の名演奏です。クライバーですが、年末に田園がリリースされました。こちらは、期待が大きすぎて、申し訳ないのですが、あまりよい演奏ではないと感じました。しかし、それも4,5、7番の名演があまりにインパクトの強いものであったからであると言えるでしょう。番外編ですが、「ルドルフ・ケンペ/ドレスデンシュターツカペレ BERLIN Classics 0091952」は、3楽章までのケンペのリハーサルを克明に収録しており大変興味深いものです。また、国連本部でジュリーニが指揮しているのをテレビで見た記憶があるのですが、どこのオーケストラであったかなど記憶がさだかではありません。しかし、お世辞にも流麗な指揮とは言い難いフォームであったことを覚えております。

 第8番は、いろいろな意味で、大好きな作品です。7番と9番にはさまれて印象が薄いかのように言われがちですが、第1楽章の荒削りな音楽こそまた、南欧をイメージするような明るさが苦悩の楽聖の中に沸々と湧き上がる様をこの作品の中に見出すことはベートーベンを聴く喜びの最大のことです。3楽章の素朴さと人類の未来を予言する第九の終楽章とが、同一の人物の手によることを常に驚きを持って聴いています。ただ、個人的には、その素朴さと初めて聴いた折のシチュエーションのまずさからしばらく近づき難い曲であったのです。この曲を聴いたのは在京のオーケストラの郊外でのプロムナードコンサートでボロボロの座席で、子供がポップコーンを食べ床はゴミだらけで、演奏中、コーラのビンがころころ転がる音が聞こえる有様でした。曲を味わうというより、何かはらはらどきどきのBGMのように感じてしまったのです。ヨーロッパで暮らしてみて第1楽章が南欧的という意味が初めてわかり、第九にも負けないほどのスケールに気づかされました。この作品も絞りきれないのですが、「ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィル AUR 165-2 ADD」を挙げておきます。また、ジュリーニのロンドンフィルとの演奏も挙げておきます。

 第九は、テノールのソロがあるため、私自身も数知れず演奏してきました。指揮者によって、第1楽章からステージにいることを要求される場合があり、このケースはなかなか難行苦行です。また、ソリストをオケの前後どちらかに配置することによって、かなりリラックスの度合いが変ってきます。第1楽章から第3楽章までを幾度となくオケの前後で聴くうちに第3楽章の素晴らしさに気づくようになりました。全交響曲の中で、唯一といってもいい長大でスケールの大きいアダージョを演奏することが、なかなか全体のバランスの中で難しいことも強く感じられました。CDでは、「ウィルヘルム・フルトヴェングラー/バイロイト管 CDH7 69801 2 EMI」が数ある名演の中でもまた、フルトヴェングラーの数種類ある第九の中で最良のものとされてきました。しかし、同じフルトヴェングラーでベルリンフィルを振った42年のライブ盤も並行してあげておくべき名盤でしょう。アーベントロートがライプチヒ放送響を指揮した53年のライブも名演です。最近、フルトヴェングラーがバイロイトで54年にも指揮した第九がマイナーレベルからでています。さて、この交響曲の名演の締めくくりとして「カルロ・マリア・ジュリーニ/ロンドン交響楽団 EMI CLSSICS 7243 5 85490 2 7」 を推薦し結びます。

 

 

 リサイタル御礼 (2004.1.12)目次へ戻る

 昨年12月3日のリサイタルは、皆様の暖かいご声援を受け、私としてもこれまでの演奏で最も満足のいく歌を歌うことができました。本当に本当に皆様お一人お一人にお目にかかり、御礼を申し上げたい思いです。シューマンの「詩人の恋」は一昨年の4月頃、ピアニストの黒川さんから歌ってもらえないかと持ちかけられ、申し訳なかったのですが、すぐにOKは出しませんでした。ドイツリートのチクルスは学生時代から私の一生を通してのライフワークにしたいと心の中に温め続けてきたものですが、ここ7、8年、一年に4、5本のオペラを抱え、時間的な余裕がほとんどなかったからです。

 昨年は、1月の新国立劇場の「光」、3月の新宿文化センターでの「ノルマ」、6月の新国立劇場での「欲望という名の電車」の三作でオペラは終わり、ゆっくりとドイツリートの世界を見直す予定が立ちそうでしたので、しばらくして、OKを出しました。ただ、チクルスは、集中力やその持続力において、オペラにも優るものがあり、黒川さんからいただいた十月の本番前に九月に山中湖で歌い、十月に平松英子さんの「女の愛と生涯」と私の「詩人の恋」のカップリングによるコンサート、そして、12月のリサイタルと三回も歌う機会を得ることができました。

 リサイタルにお出かけいただいた皆様には、私のその3度目の「詩人の恋」をお聞きいただいた訳で、皆様の暖かいエネルギーを感じつつ、全16曲を大変にリラックスしつつ歌い通すことができました。また、後半の日本歌曲は、同じようにここ2、3年歌い溜めてきたものをハーフプログラムとしてお送りしました。特に、日本歌曲について、中年以上の方々から暖かい賛辞の詞をいただきました。日本語の歌をお送りすることの意義深さを改めて痛感している次第です。

 私も40歳代の前半を終わり、振り返りますと、オペラの忙しさに追われながらも、実は、このような企画を歌手人生のライフワークとして中心軸に据えていくべきと感じました。今後は、マーラー、リヒャルト・ストラウス、ブラームス、シューマン、シューベルト、ヴォルフなどのドイツリートに挑戦しつつ、日本歌曲も同じウエイトで皆様にご披露できればと思います。

 また、黒川さんとリサイタルでピアノを弾いてくださった梅本さんは、本当に才能に満ち溢れた方々で、一回一回のリハーサルが本当にかけがえのない豊かな時間であったと心より感謝しております。今後は、年に一、二度のペースでリサイタルを予定しており、また、ドイツリートのみによるリーダーアーベントも年に二、三回のペースで開催していく予定でございます。皆様のますますのご支援、ご声援を心よりお願いする次第です。ありがとうございました。

 

 名歌手の思い出 (2004.1.11) 目次へ戻る

 ホッターが亡くなったニュースを聞いて、本当の名歌手がまた一人世を去ったと思った。ジュリーニのことをくどくどと書いてきたが、歌手の世界も年齢を経て、尚、芸暦を広げ、かつ、壮年時代からの発声のフォームを崩さず、そればかりか、声は多少衰えてもその年齢にしか表現できない達人の境地に達するほどの歌手が極めて少なくなってきているのではないか。幸い、私は、86年頃だっただろうか、ホッターをミュンヘンで聴いた。その二年前、スカラ座で「魔笛」のシーズンプロが数回公演されたおり、弁者を演じて、観衆の度肝を抜いたとのうわさをミラノで聞いていたが、このミュンヘンの「ルル」での一役は、霊的とか、声の神格化というぐらいの形容でも物足りないくらいの印象だった。

 1910年生まれだから、この時すでに70歳代後半となっていたことを考えると、壮年から中年にかけてどれほどの名演を繰り広げてきたか想像にかたくない。一言で言えば、この声の実体をスタジオ録音でもライブでもディスクで味わうことは、100%不可能なことだ。ホッターにとっては、劇場の客席こそが、その実像を目の当たりにできる唯一の場所だということが言えるだろう。ウォータン、グルネマンツ、クルヴェナールなどのワーグナーの録音をCDで聞いて、また数々のドイツリートのCDを聴いてそのように思った。

 同じように、やや少し前に他界したアルフレード・クラウスにもそれが当てはまるであろう。幸運にもパルマで「ルチア」と「ファウスト」、ウィーンで「愛の妙薬」を数回見ることができた。その印象は三大テノールも他のあらゆる名テノールの存在も薄めてしまうものだった。CDでの彼の声はただのジョークだったのではないかと思わせるような落差があった。

 まだ歌っているという情報があるニコライ・ゲッタもそうした一世代前の本当の名歌手だと思う。フォルクスオーパーで「ホフマン」を聞くことができたが、はたしてこうゆうアクートを出す歌い手が今いるかどうか。だが、ゲッタも同じようにディスクではその立体感はわからない。

 ヘルマン・プライももっともっと生きて欲しかった一人だ。スカラ座が、一シーズンに4名ほどの歌手を呼び、大きなオペラの合間にリサイタルを催しているが、この時ばかりは、プラテアと呼ばれる一階席も3千円ほどで当時は開放されていた。プライが今日的にいういわゆる声のでかい歌手でないことは明らかで、私は初めて演奏旅行でウィーンを訪ねた折、国立歌劇場で聞いた「セビリア」のフィガロを演じるプライを聴いてそう思っていたのだ。ところが、当夜のプライは、あのスカラの響きの悪いパルコシェニコに現れて、ピアノ伴奏でシューマンのリーダークライスやケルナーを本当に全身全霊で歌いきり、これこそドイツリートの真髄であることを耳のよいまた口うるさいミラノの聴衆に刻印したのである。実際、私自身もイタリアオペラの舞台でドイツリートがここまで聴衆を熱狂させることができるのだということを強く印象づけられた。

 全身全霊ということでは、プライに敵う歌い手は少ないだろう。サントリーホールで冬の旅を聞いた時もそう思った。ジャンルの異なる知人からプライは前の方で聴かないとどれほどすごいかわからないと言われて、渋々という感じでほとんどかぶりつきで聴いたが、こうした魂の叫びを間近に見せられて大ホールの空間が恨めしく思えた。その何分の一かは、ホール全体に伝わるとしても、彼が一曲一曲にオーバーでなく命をかけていると言う迫力は薄まってしまう。

 こう書いてきて、昨年、なくなったフランコ・コレルリのことが強く思い出される。もちろん私は、コレルリを生で聴いたことは一度もない。しかし、モナコと並び、黄金時代を作った一人として特筆すべき存在であろう。昨年秋、訃報が知らされ、CDショップでは、追悼のプラカードが出ていたが、丁度コレルリのライブ盤をいろいろと探している折だった。「ルチア」、「トスカ」、「トロヴァトーレ」、「パリアッチ」などが挙げられるが、私は当時のウィーン国立歌劇場のオールスターキャストと言ってもいい、キャスティングでの「ドンカルロ」が一番好きだ(シュタイン指揮)。

 さて、いろいろなことを書いたが、留学中も含め、心に残る名歌手の名演を羅列しつつ、亡くなった名歌手には心から祈りを捧げたいと思う。スカラ座での「アイーダ」におけるパヴァロッティとキアーラ、バイエルン国立歌劇場来日公演の「ワルキューレ」におけるアダムとジョーンズ、本拠地ミュンヘンでの「リゴレット」におけるマヌグエッラ、「マクベス」におけるブルゾンとカプチルリ、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「パルシファル」におけるコロ。「運命の力」におけるヴァラディー。ザルツブルグのイースター音楽祭「ドンカルロ」におけるバルツァ。ウィーン国立歌劇場の「リゴレット」におけるヌッチ。「パリアッチ」におけるジャコミーニ。パルマでの「イエルーサレム」におけるシェピ。チューリッヒにおける「清教徒」におけるサルディネーロ。フィレンツェでの「マノンレスコー」におけるフレーニとマウーロ。文化会館でのガラコンサートにおけるヤノヴィッツ。プレガルティンの「冬の旅」。ディスカウのリーダーアーベント、草津音楽祭「ヨハネ受難曲」におけるヘフリガー。トマス教会来日公演の「マタイ受難曲」におけるシュライアー。アムステルダムコンセルトヘボーにおける「イドメネオ」のオッター。などなど・・・・・・・・ ほとんどご存命の方々になってしまいました。ごめんなさい。

 

 もう一度ジュリーニ万歳!(2004.1.7) 目次へ戻る

 ヴェルディのレクイエムを聴き終わって古いディスクなのに、ジュリーニの作る音楽はまったく丁寧、誠実、祈りのこもった演奏と感激していたが、図書館で吉田秀和氏のCD25選という本にぴったりの表現を発見して同感。ジュリーニのブルックナーの第七番のスケルツォが単調なリズムとならず、微妙に変化していることや、第一楽章のテーマの歌わせ方を譜例まで示して解説している。その上で、同氏はジュリーニを徹底して音楽に誠実に演奏していると述べている。

 前回も書いたが、ブルックナーの7、8、9番はどれもそう。同じテーマを異なる楽器がバトンを渡すように繋げていく時、それらの楽器が一人一人のプレーヤーの持つ最も美しく、最も誠実な響きによって奏でられる。吉田氏の文章に触れた後、ドボルザークの8番を聞いた。ジュリーニという名前だけを確認してどこのオーケストラかも確認せず、聴き始めたが、まず、冒頭の弦の美しさにこれは、ヨーロッパのオーケストラと確信した。信号待ちで、ジャケットを見て、コンセルトヘボウとあり、なるほどと思う。アムステルダムで、コンセルトヘボウを訪ねた折、ホールの音響の素晴らしさには本当に心から舌を巻いてしまった。オーケストラはコンセルトヘボウでなく、ガーディナー率いるイングリシュバロックでの「イドメネオ」だった。

 さてジュリーニのジュリーニたるところは、第一楽章フィナーレで、金管が小気味よいリズムを刻みながら、クレッシェンドしていくところで、ほぼ同じ音量でストリングスの縫うようなメロディを聴かせている部分。この交響曲がここまでの構成となっていることを示した演奏が他にあったかどうか。カラヤンの名演は、どちらかというとカルショウの制作によるウィーンフィルのものが美しいが、クーべリックやアンチェルといったチェコの演奏家の名演は、テンポ設定等で、カラヤンには拮抗する部分が少なくない。だが、ジュリーニは、そのどちらとも異なる。彼は作曲家が意図した音楽を楽譜の中から深く汲み取り、それを忠実に再現しようとする。すなわち、このようにすれば効果があるという方向でなく徹底して譜面に誠実なのだ。

 ヴェルディの「レクイエム」だが、私たちは、速い、強い、分厚いにいかに耳が慣らされてしまっていたかをジュリーニの怒りの日の中に見出す。この怒りの日は、これほど古い演奏であるにも拘らず、いつも新しいものだ。また歌い手達もすばらしかった。特に、バスのギャウロフや実演ではあまり聞かれなかったであろうソプラノのシュワルツコプフらの歌唱は忘れ難い。ジュリーニは少年時代を南チロルで過ごしたとあるが、生まれは、ヴェローナの近郊だから、100%イタリア人だ。しかしこのレクイエムでの演奏は、私達が、来日公演やCDで聞いたアバドやムーティの演奏とは正反対にあるものだと思う。怒りの日の響きが速さ、強さでなく、威圧されるような、しかし、中身がぎっしりと詰まったこれほど重厚なことが他にあっただろうか。

 

 「ベートーベンの交響曲全曲演奏会」 (2004.1.2) 目次へ戻る

 2003年12月31日、ベートーベンの交響曲全曲演奏が一夜で行われるというので、午後3時半東京文化会館に到着。座席に座ったとたん、交響曲第一番が始まる。家内と二人で、どの辺りで体がもたなくなるだろう、限界と感じたところで、外にでて食事でもして帰ろうと言っていた。が、とうとう新年の第九の終楽章までおよそ9時間半、全曲を聴き終え、新年を迎えた。最近は、車で通勤するようになり、カーステレオでベートーベンの全集をいくつも聴いてきた。コンヴィチュニー、ノリントン、トスカニーニ、バーンスタイン、ジンマン、ヨッフム、ベーム、クリュイタンス、フルトヴェングラー、ケーゲル、シューリヒト、チェリビタッケ、ブロムステットなど等。片道1時間半、往復3時間の道のりなので、3日にワンセットを聞いてしまう勘定だった。しかし、さすがに、生の演奏はCDとは違う。(当たり前か。) 

 改めて、第三番「エロイカ」から本当のベートーベンの姿が見えてくる。第四番は泣く子も黙るクライバーのライブ盤で聴きなれていたつもりだったが、大友さんの指揮で、なるほどこれぞベートーベンの真髄かと改めて感銘。第五番は、最近では、ジュリーニのCDに心酔していたけれども、三楽章から四楽章へのピチカートの繊細さなどやはりとても実演にはかなわない。(当たり前か。)第六番「田園」は年末CDリリースの大ニュースだったクライバーの演奏や、同じくディスカウントで発売されたジュリーニの演奏に聞きほれていたが、岩城さんの「田園」は、100%お世辞抜きにカラヤンベルリンフィルの実演(1970年代だっただろうかNHKホールで聴いた)にせまるものだった。金さんの第八番も名演。だが、岩城さんの指揮は、ストリングスが解き放たれたように響き、実はあまり好きな曲ではなかったのだが、うっとりと聴き惚れた。

 終演後、最前列で聴かれていた友人の弁護士若林夫妻と主催者の三枝夫人と歓談。若林さんは、さぞ、お疲れかと思いきや、ストリングスが間近で、自宅で演奏をしてくれているような錯覚に落ちたと感激されていた。三枝夫人は、このマラソンコンサートとバイロイト詣でを比較されていたが、ニーベルンクの指輪を二作一夜で見るのよりは、なぜかわからないが、遥かに肉体的に楽なのではないだろうか。カターニャ(シチリア島)で、「神々の黄昏」を見た折、家内がギブアップしそうだったので、今回もまあ「運命」までかなと諦めていたが、以外にも一睡もせず、完走してしまった家内に、今回は感謝。幸先のよい年明けではないか。

 

 ジュリーニ万歳! (2004.1.2) 目次へ戻る

 クラッシック狂を自認する私だが、最近は、改めてジュリーニに狂っている。きっかけは、ディスカウントで発売されたベートーベンの六、八、九とブラームスのピアノコンチェルト集だった。その狂い方とは、まるで、高校生の時のような熱狂でCDショップをジュリーニの名前を目当てに駈けずり回るほどである。青春よ、再びというほどなのだ。私は、留学時代にスカラ座のオーケストラの定期演奏会でジュリーニを二回聴いた。フランクのニ短調とムソルグスキーの展覧会の絵というプログラムとベートーベンのミサソレムニスだった。前者は、いわゆるシオペロ(ストライキ)の日と重なり、アパートからスカラ座まで、歩いて往復したのである。聴衆は、ジュリーニが現れたとたん、演奏以前に熱狂してしまい、肝心の演奏の方は今ひとつだったように当時の私には思えたのである。後者も同様。これは、カラスの椿姫のあの超名演のイメージが強すぎて、ジュリーニとはアルフレードが札束をヴィオレッタに投げつける時のあのヘビー級の魂を突き刺すような音楽をイメージしすぎていたのかもしれない。音楽を仕事とするようになり、あきらかに音楽家には、二つのタイプがあることがわかった。効果を狙う方法と、楽譜にいかに忠実に従うかという方法だと思う。ジュリーニは、明らかに後者なのだ。CDのベートーベンの第九では、第一楽章冒頭のフォルティシモに到る僅かな時間に作曲家の意図したドラマが展開するようで、実演も含め、何百と接してきた第九像を叩き壊された。

 貪る様に他のCDも聴いているうちにこのマエストロが商業主義を嫌い限られた仕事に専念する姿勢がすべてではないが、見事に開花している事実に感動している。例えば、ブルックナーの第九番。一つ一つの楽器が、心から音楽をいつくしむように歌いハーモニーを作り上げるが、その美しさにうっとりとしていて、まったく時間を忘れてしまう。第八番もそう。数ある名演の中で、ジュリーニが今ひとつクローズアップされないのは、不思議なことと思えてしまう。

 ミラノの聴衆がジュリーニ登場とともに、演奏以前にブラボーを叫んだのは、様々な思いがあるようだ。一つは、この劇場の黄金時代を作ったマエストロであること。もう一つは、ジュリーニの生き方への共感であろう。ロサンゼルスフィルハーモニーを70歳で辞した時、その理由は自分の健康上の理由以上に愛妻の健康上の大きな障害と残る人生は共に歩みたいとのことであった。このことは、以前、雑誌に長い対談が載せられていて、私も大変に心に残った。

 また、ジュリーニが指揮者になる決意をした理由もそこには書かれていた。ローマでオーケストラの最後尾のビオラ奏者のポストを得た折、大戦後の名指揮者が次々と指揮台に立った。ジュリーニは率直に名前を挙げながら、老オーケストラプレーヤーが今日はすばらしい体験をすることになるよと言いまさにその決定的な体験をしたのだった。それが、ブルーノ・ワルターであり、ブラームスの第一番だったが、一言でいうなら、末席ビオラ奏者とオーケストラとのコンチェルトをさせてもらったような体験だったと述べている。おそらくジュリーニのみならず、他のプレーヤーもこのような体験をワルターから得ていたのだろう。

 ジュリーニが目指している音楽とはまさにそのことなのだろう。ブルックナーで美しく響く木管楽器は、自己のワルター体験の再現なのではないだろうか。だから概ねコーダにいたると全くあっさりと現代風の早い強い分厚いという響きにはほど遠い結末となってしまう。例えば、同じイタリア人であるアバド・ムーティの作ろうとしている音楽とは、世界が違うと言えるのではないか。そして、今日ではこのように演奏する指揮者がコンサートやCDの最前線にいったい何人いるだろう。

 スカラ座でのジュリーニの演奏の印象をある若手の名指揮者に述べたところ、それは間違っている。早い強い大きいという方向に戦後の音楽が向かっているのに対してジュリーニとは唯一といっていいくらい楽譜を読み取ることができるマエストロなのだ。と言ったことを今日、再認識している。ちなみに名盤と言われるミケランジェロとの「皇帝」やヴェルティの「レクイエム」など世間に知られているものも決して少なくないが、マーラー、ブルックナー、モーツアルト、メンデルスゾーンなどでの名演も、決してそれに劣るものではない。一ファンとしては、マイナーレベルであっても、ライブ盤の未発売の音源がリリースされることを目をぎらぎらさせて、熱望しているところである。

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